仲間とアトリエをシャアしての感想と反省など。

20203

2012年の3月より、大阪会(仮)の仲間と実際に物件をかりて、アトリエとしてシェアしていました。

そのころ仲間で毎月大規模な飲み会をひらいたり、何か企画の打ち合わせがあればお酒を飲んだり食事にいったりしていたので、その毎月の飲み会をだしあえば皆で安い事務所なら借りられるんじゃないか、とのアイデアからでした。

当時はほぼ全員が会社勤めだったので、自分たちで自由に使える、アトリエや事務所に憧れがあったのかもしれません。

そして物件をさがしはじめてすぐに、ほぼ全員がひとめぼれするという物件に遭遇。

探していた条件よりアクセスは悪かったのですが、リノベーションしたての木の香りのする素敵な部屋でお家賃もお手ごろ。
お風呂はないけれど住居目的ではないので問題なし。キッチンとトイレがあって、何より広い!

具体的な物件がみつかったことでぐっと現実感がまし、慎重に話し合った結果、13人でスタートすることにしました。

アトリエ利用目的で複数人で物件を借りるなんて、誰もがはじめてのことだったので、最初に話し合ってルールをきめました。

抜けるときは3ヶ月前申告で、一期を6ヶ月とし管理人・会計を持ち回りとすること。
ひとり頭の負担額が最初にきめた金額を上回る人数になったら無理せず解散することなど。

何もかもが手探りです。

時にはアトリエでテーマをしぼったイベントをたちあげ、仲間を招待してのパーティをしたり、ビアパーティをしたり、学生向けのワークショップを開催する者、打ち合わせに利用する者、撮影に利用する者などもいました。
(オールナイト人狼も開催しましたw)

しかし当時はまだ会社員だったメンバーが多かったことや(今は何人か独立しています)、アクセスが不便な場所にあったことなどから、ワークスペースとしての利用よりもイベントスペースとしての活用が多くなりました。

冬場は寒かったり、アクセスが悪く終電が早かったり、そもそも皆仕事が忙しかったり。
当初目指していた「いつ行っても誰かいる場所」「気軽に仲間であつまれる場所」にはなかなかなれず、
独立して事務所を構える仲間がでてきたり、メンバーも少しずつ抜けていったり。

皆で話し合った結果、1年半をもって2013年9月をもって閉めることにしました。

若かったという意見もあり。
けれど私は、得がたい貴重な経験であったと思います。
場所をつくることに関心があるのかも。

学習したこと・反省

ロケーション大事

「頻繁に気軽に仲間があつまる場所をつくりたい」という目的だったので、アクセスの悪さも敗因だったと思います。
また場所は欲しいけれど、皆そこまで必要ではなかったのかも。
あとあとアトリエよりも近い場所に事務所をひらいた友人の場所にいりびたるメンバーも多かった。

必要性

具体的な利用のイメージがなかった。

代表をきめなかった・常駐する人がいない

「常に誰かそこにいてくれる人」がいなかったのも大きかったのではないかと。例えばフリーランスで平日は事務所兼用としてそこにいるよとか。
ふとしたときに「いこうかな」と思っても、「けど誰もいないだろうな」と思って足が遠のいた、ということもあったと思う。
また、管理人を交代制にするのではなく、一人ボスをきめてしまって、その人を軸にルールをつくってもよいかもしれない。
交代にするとお互い遠慮がでちゃうから。

広さ・快適さ

十分すぎる広さでした。
皆でだしあって、机や椅子だけでなく、ソファやプロジェクタを買い揃えたり、なかなか快適でした。冬は寒かったけど。

今度つくるときは

そんな機会がまたあるかどうかはわからないけれど、「アクセスのいい場所」に「常に誰かがいる(常駐している?)」状態でつくれたらいいなと思う。

どうして今まとめたかというと
先月まで1ヶ月強ほど九州福岡県上毛町に滞在していたときによく訪れた、とある集落にあった「巣狩谷ライブハウス」という場所。
倉庫になっていた場所を手作りでリノベーションしたというその場所が、まさに「頻繁に気軽に仲間であつまれる場所」になっていて、結構衝撃だったわけです。

そして自分たちのつくった場所のことを思い出した。
このまま過去のことにするのも忍びなく、自分なりに記してみた次第。

仲間の誰の家からも徒歩圏内の場所で、気軽にあつまって飲んだり食べたり話したり、楽器を演奏したり。

こういう場所をつくりたかったのかもしれないなぁ。

長くなるので巣狩谷ライブハウスについてはまたいつか。